この混沌とした世界に、大和魂の力でメスを入れ、 そしてそれが幽遠でなくなる日が来ることを祈りつつ、 現代日本の指針を啓示するものとして、これを記す。

2007年4月14日土曜日

日本の核武装

先日のことになりますが、R先輩と日本の核武装について協議して参りました。
一応、私の立場は「現時点をもってこれを成すのは早計に過ぎる」というものです。
もちろん、隣国(しかも、一応「仮想敵国」)が核を持ったのだから、対抗手段を持つべきだ、という論に非はありません。むしろ、その通りといえるでしょう。しかし、核を外交カードに使い卯ということは、唯一の被爆国(劣化ウラン弾等も考えると唯一の、という表現には揺らぎが生じますが、戦略爆撃の過程で被爆したのは、唯一わが日本帝国)であるという外交カードを捨てることを同時に意味します。今現在、米帝国の核の傘下にあるので、このカードを表だって着ることには不信感を感じますが、この先、日本が真に(軍事的な意味含む)で独立できた場合、このカードはかなり大きなものとなるはずです。第二に、現在では、核の抑止効果に積極性が出てきていると言うことです。核抑止論は、根本は、恐怖の均衡ですが、財力・技術力のある国々がすでに核兵器を持ってしまった今、これは用をなしません。では、積極性とはどういうことか、といいますと、①核を持つ在る程度の国(例:米)が、②反対勢力圏の国(例:イラーク)を「悪の枢軸」として仮想敵国化し③核を含めた武力行使の準備を始めると、④相手国は核しか対抗手段がないため⑤なけなしの財で研究・開発を行い⑥財はなくなり⑦国内は混乱、暴動が起きることもあり、⑧仕掛けた側の国(例:米)がつけいり⑨政府を倒し自国に都合のよい政府を作る。ということです。核は、打たずとも攻撃の手段となる。かつ、都合のよい勢力に支援という形で行うので、自国の損害は少なくなる。新派の国は増える。問題は、この「攻撃なしの攻撃性」がある兵器を、日本が持つべきかと言うことです。日本は、二次大戦前も、国際協調というはかない望みに賭け、敗れて開戦、惨敗。それを考えれば、先制攻撃も認め、これの保有を認めるべきなのかもしれません。しかし、今の日本に、その必要があるのか?世界の常識は「勝てば官軍負ければ賊軍」ですから、勝たないといけないのですが、そのような無理をしてまで新派の政権がいるのか?ノーである。あるに越したことはないが、アジア馬鹿三国のおかげでそれは無理。日本はこの島だけの方がうまくやっていけるだろうし、先ほども言ったように「真に独立するなら」、非核のカードが切れる。よって、私はこれについて結論するのは早計に過ぎると考えます。あ、でもそういう議論自体は必要ですね。