この混沌とした世界に、大和魂の力でメスを入れ、 そしてそれが幽遠でなくなる日が来ることを祈りつつ、 現代日本の指針を啓示するものとして、これを記す。

2007年3月1日木曜日

う~ん

朝鮮の日本統治時代の、総督府長官の日記が見つかったそうです。
某大手対米追従左翼紙によれば、「虐殺の一部始終がかかれ」ているそうです。
しかし、本日3月1日にあった運動は、日本の教科書に書かれている物ほど
「大人数の参加」でも「多数の民衆の支持を得ていた」訳でもない、というのは既に
定説です。もっぱら、一部の気が早い連中が、一部住民を煽動して、暴動に発展させた、と言うのが実情です。
さらに、韓国にも勿論「抗日スパイ」はいたわけで、憲兵がそれを捕らえて拷問する、見せしめで大量処刑する、と言うことはあったでしょうが、それは何の問題でもありません。
野放しにすれば、混乱を招き、軍の行動に支障を来す、そうすれば大東亜開放は出来なくなってしまう、と。
さらに、今で言う「ゲリラ」のような物も、存在したと言われます。
こんな状況ですから、発泡も増え、戦闘に巻き込まれて、と言うことも必然的に多くなります。
また、朝鮮統治は赤字経営で、東北地方ではなぜ内部に投資をしないのかと一揆が起こったほどと言います。ついでに言えば、朝鮮は植民地ではありません。日本は「植民地化」ではなく、「併合」を選んだのです。
植民地と本国の間柄は、あくまで他国です。只、主権が本国側にある、それだです。つまり、現地住民の一部を混血化させ、現地の統治に当たらせる、自分は甘い汁を吸ってばかりと言うことも当然OKなわけです。
しかし、「併合」とは、完全に領土とすることで、そこの住民に対し差別的待遇をすれば、国際法違反に問われます。当時の朝鮮人民は李王朝からの搾取を受けており、とんでもない状況でした。そこで上記のような事態になった、と言うわけです。
しかし、「事大主義(=対支那属国主義)」の彼らに、日本人はあまりに差別されていた(いや、現在進行形でされている、のだが)ので、35年という時間は、あまりに短かった。しかも、そのごたごた(と、いっても朝鮮はあくまで、後地であった)の中を、米国がかき回した。それによって現在の状態があるわけです。

話がずれました。元に戻します。この虐殺と言うのも、おそらくはいわゆる「南京」と同じなのでしょう。あの狭い中で、ほんとに虐殺が起きれば、それは併合した意味(西洋列強の侵略を防ぐ)が無くなります。一部だけ抜き出して、こういった反国益的なことをするのは、そろそろ終わりにしませんか?